コメント欄についてのお知らせ

先日書いたエントリがどうやら反響があったようで、自分自身驚いています。

 

 

多くのアクセスやコメントが寄せられるのは大変ありがたいです。

しかし、その中には脅迫に近いようなコメントも寄せられました。

そのようなコメントを見て削除するまで放置するわけにもいかないので、いったん以後のコメントを承認制としたいと思います。

また、コメントに返事をするのも想像以上に時間と労力がいることがわかり、申し訳ないですがコメントへの返事も基本的にはしないという方針にさせていただきます。

 

 

不本意ではありますが、しばらくこれで様子を見ます。

 

 

承認欲求で研究者にはなれません

理系の大学ならどこにでもこういう人はいると思う。

いわゆる、著名な研究者になってみんなにちやほやされたいっていう勘違いした人。

 

職質アンチパターン:研究に対する情熱や愛が死んだ

さて,研究に対する情熱を死に至らしめた理由は以下の通りだ.

  • 良いフィードバックが無い
  • 研究室の雰囲気としてコンピュータサイエンスを軽視している
  • サーバー管理などの本質的ではない雑務を押し付けられる
  • 研究テーマが特殊で適切な評価を得にくい

 

ということらしいが、すでに自身の結論は出ていて

 結局のところ,僕は適切なフィードバックや評価が欲しいだけなのだと思う.この研究室でそうした適切な評価を得ることは不可能だと判断した僕はアルバイト という,少なくとも金銭というかたちでフィードバックが得られる世界に傾いていった.

研究室を変えるとか,研究テーマを変えるとか,そういう事は正直もうどうでも良い.こうした連続的な最悪の体験により,大学やそれを中心とする研究やそれを中心とするアカデミックな雰囲気に僕はもう嫌気が差してしまった.普通に向いていないんだと思う.

 というのがすべてだと思う。結局、研究そのものがしたかったわけではなく、それに対する見返りが欲しかったということ。

 

こういう他人から認められたいという感情を承認欲求といって、リンク先のコメントにもあるように、この感情だけで研究をするのは無理だ。

研究そのものに興味を持ち続けられるかどうかというのは研究者には重要な資質で、むしろ頭がいいからなれるわけではない。

博士課程に進んだある東大生の末路

 この人も結局エリートとして認められたかったという理由で研究をしていたようだ。

その証拠に研究内容は何一つとして書かれていない。

 

研究者は自分の研究が世の中の役に立つとか、未知の現象を知りたいという純粋な”ココロ”を持てないとダメだ。

僕自身も2年半研究室に所属して先輩を含めいろいろな研究者の人を見てそのような結論を下している。

そもそも、著名になりたいとか、金持ちになりたいとかいう理由で研究者を目指すこと自体が間違っているのだろう。

「学道の人は先須く貧なるべし」(学道の人は、まずすべからく貧なるべし)(道元) 

 という言葉もある。

もしあなたがドクター進学して研究者を目指そうと考えているならば、どんなに貧しくなっても、どんなに惨めになっても、研究を愛し、自らの決断を悔やまないようにしてほしい。

大学の講義だけで専門分野をすべて理解することは不可能

理系の学部の話で、大学のある専門の講義で良い成績を取ったのに、その専門分野をあまり理解できていないということがよくある。

これは理系あるある話で、そもそも講義だけでその専門をすべて理解することはできない。

一番それがよく分かるのは、専門の授業のカリキュラムと専門分野の本を比べてみることだ。

大学のカリキュラムが明らかに本に書いてある単元より少ないことが多いはず。

これはなぜかというと、その専門分野を理解することが目的ではなく、その分野に対する興味を知ること、専門分野の基礎的な教養として理解する程度が目的であることが大半だ。

だいたい、本に書いてあることをすべて講義の間だけに理解することなど無理がある。

試験問題などでも講義で扱った内容のうち、特に理解しておいてほしいところを出題するのが普通。まぁ、中には全然関係ない問題を出す教授もいるようだけれども。

 

 

結論として、講義の内容をすべて理解したとしても、その専門をすべて理解できたわけではない。あくまで基礎的な部分だけ。もちろん、履修したからにはそこだけでも理解できたほうがいいのは言うまでもないけれど。

もし講義でその専門に興味が持てたら、教科書をすべて理解する勢いでぜひ自主的に勉強しよう。そして、4年生になったらその専門の研究室に所属して研究しよう。

Arduino Uno R3を買ってとりあえずモータを動かしてみた

マイコンといえば以前は秋月電子でH8やPICを買って、プログラムを書いてコンパイルするまでだけでもいろいろなステップを踏む必要があり大変だった。

しかし、最近ではArduinoというマイコンボードが発売され、しかも簡単に扱えるものらしい。

というわけで、しばらく電子工作から離れていたが聞いて早速買ってみた。

 

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さて、何をしようかと思案したけれども、以前と比べあまりにも電子部品が少なかったのでモータ制御ぐらいしかできそうにない。

というわけでこのサイトを見ながらモータ制御をしてみた。

動画を撮った後で気がついたけど、可変抵抗を変化させてモータ速度制御させればよかったな・・・

 

次回は何をしようか・・・

コンビニのトイレを使うとき何か買えばいいと思っているあなた。それじゃ意味無いですよ。

屋外を移動中にトイレに行きたくなって公衆トイレなどではなく、どこかの店に寄った経験のある人は多いだろう。

特に今ではコンビニの数が多くなったので近くのコンビニに寄って用をたす人も増えた。

そのときによく話題になるのが

「公衆トイレではないのだから店のトイレを利用するときは必ず何か商品を買うべき」

という意見に対する是非だ。これを耳にしたとき、典型的な日本人的思考だなと思ったものだ。

よくよく考えてみれば突っ込みどころばかりだと思うのだが、ネット上で検索すると某掲示板や質問サイトでは肯定派も否定派も意見をぶつけあっているだけで決着などはついていないようだ。

そこで、この意見に対する問題点を自分なりにまとめてみた。

 

まず最初の問題点が、そもそもそんなことは明示化されていないということだ。

公衆トイレではないからトイレの運用費が問題になるのならば、何か商品を買えと張り紙するか、いっそのことトイレを有料化してしまえばいい。

明示化されていないルールはルールではないので守る必要などないのだ。

 

これに対して、次に

「商品を買うのはルールじゃなくてマナーの問題だ!」

と主張する人がいる。では、一体誰に対するマナーなのか?

普通に考えれば店員に対するマナーだろうか?しかし、コンビニなどでアルバイトをしたことがある人なら分かると思うが、運用費がかかってるから商品を買わない客は迷惑だ、なんてまず思わない。

なぜなら、アルバイト店員の立場からすれば時給は同じであり、むしろ商品を買ってレジを忙しくされるぐらいだったら何も買ってほしくないというのが本音だ。

そんなことよりアルバイトにとってはトイレを綺麗に使ってくれるかのほうが問題だ。トイレを汚すような客は商品を買おうが二度と来てほしくないだろう。

では、オーナーに対して?しかし、自分でトイレを誰にでも無料で開放しておいて運営費がヤバイとか思っているならそのオーナーの経営能力を疑う。

商品を買わせるなり、有料にするなり、そもそも設置しないなり方法はあるだろう。

結局、そのマナーは周りから刷り込まれただけで対象など存在しないのだ。

 

「アルバイトがどうとか関係ないし、何も言われなくても商品を買うことで利用料に還元すべきだ!」

「お店に対する感謝料として何かものを買うのは当然だろ!」

と考えている人もおかしい。

そもそも買えと言われなければあなたの払っているそのお金にはトイレの利用料なるものが一部として入っているわけではない。ただその商品の対価を払っているだけ。

感謝料というのも同様に、そのことが相手に伝わっているわけではないので無意味。

だいたい、相手から求められているわけでもないのに利用料だとか感謝料だとかを勝手に払って当然のことをしたと思うなんて、ただの自己満足だ。

別に助けを求められているわけでもないのに助けてさもいいことをしたかのように錯覚している人と似たようなものだ。

 

それでも、どうしても何も買わずに出てくのが気持ち悪いだとか、感謝せずにはいられないという人は、店員に ”ありがとうございました” と感謝の気持ちを伝えればよい。

店員にとっても悪い気はしないし、トイレ掃除に一層やる気がでるかもしれない。

よって、冒頭の意見は正しくは「買うべき」ではなく「感謝すべき」とすべきだろう。

もちろん、店員が忙しそうだからとか、ちょっと恥ずかしいからなんてなんて言いませんよね?

忙しくてもさっとほんの一言の感謝を伝えれば店員はきっと笑顔で返してくれますよ。

 

ちなみに、僕はこの感謝というのもしたい人はすればいいし、別にしなくたっていいと考えている。

そもそも、店を利用するときに感謝を伝えなければならないのなら、例えば高速のサービスエリアのトイレだって民間企業の運営なのだからそこでも同様に感謝しなければならない。

しかし、高速のサービスエリアのトイレを利用するときにNEXCO中日本の社員や店員に感謝を伝えるのかというと、まず伝えないだろう。

でも、コンビニとサービスエリアのトイレではなんとなくそこに差異があるように思える。

これは、店のトイレをインフラと見れるかどうかに尽きると考えている。企業というのは利益だけを常に追求すればいいわけではない。

インフラ整備などの社会貢献だって企業に課せられた重要な義務だ。その一環としてNEXCO中日本はインフラであるトイレをサービスエリアに設置しているのだ。

僕としては冒頭に述べたように、コンビニのトイレは地域のインフラの役割も担っていると考えている。大規模地震の発生などの災害時にもトイレは重要だ。

もちろん、コンビニのトイレがインフラの役割だけじゃないと思うのなら店員にありがとうと言えばいい。

 

あなたがトイレを利用する際、マナーだのと刷り込まれ何も考えずに商品を買っていた人にはぜひ考えなおしてほしい。

一度ブログを書かなくなった自分が一からブログを始めるわけ

ブログや日誌のようなものを書かなくなってからだいぶ経つが、今日こんな記事を見つけた。

・これからの時代は「え?」と思うことが仕事になる 新しい起業の方法

ブログのすごさは、世界中の多くの人にメッセージを伝えられること。ブログを基点にして自分の生活そのもの、もしくは一部を生業にできる可能性があることです。

記事のネタがないとか、あまり問題ではありません。ブログの可能性を理解できるかどうか。そして、信じられるかどうかです。ブログの持つ力を理解していれば、毎日更新は無理とか、悠長なことは言っていられないと思うのです。

チャンスは待っていても現れません。イチローが野球界でトッププレイヤーになれたのは、トップ選手を目指して素振りを続けてきたからです。自ら行動をおこさなければ、何者にもなれません。

個人がチャレンジを開始するためのツールとして、ブログは現時点では一番有効だと考えています。

 

 

単純な脳みそかもしれないが、これが自分の胸に突き刺さり、またブログを始めることにした。

以前はFC2でブログを書いていたのだが、やはり挫折した。一番の理由はコメントがひとつもつかないクソ記事を書き続けて果たして意味があるのか?と思った、いや、思い込んでしまっていた。

今ではこの考え方はブログに限らずクリエイターを志している人には害でしかないと感じている。そう感じ始めたのはこのブログの記事がきっかけ。

・勉強なら他所でやれ | Transistar

この記事を見たときは衝撃を受けた。これを書いたクリエイタの来兎さんは尊敬している。

ただ、この記事が書かれたのも2年近く前なわけで、その間結局書こうとしなかったんだよなー。

でもその間もやもやしていたのも事実で、それが今日臨界点を突破した、と。

以上がブログを再開する流れ。

しかし、FC2で再開するのも引きずりそうで嫌だったし、はてなブログが最近便利になってきていて、以前のブログのことは完全になかったことにした。

というわけで、FC2で再開するのもはてなブログで移転しました宣言をすることも一切やめ、心機一転して一から記事を書くことにした。

毎日は厳しいので目標は週に3日。

もうこれで更新をやめるようならブログを書くのは二度としないことにしよう。

 

所信表明演説終了!

2013年12月1日(日) このブログが続くことを願って。